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東京地方裁判所 昭和55年(行ク)35号 決定

申立人

林静、林建振こと

アンパポン・プウゲン

右代理人

笹原桂輔

外一〇名

相手方

東京入国管理事務所主任審査官

右指定代理人

細井淳久

外四名

主文

相手方が昭和五五年三月一九日付で申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は、送還部分に限り本案事件(当庁昭和五五年(行ウ)第六五号事件)の第一審判決言渡しの日から一箇月を経過した日までこれを停止する。

その余の申立てを却下する。

申立費用は相手方の負担とする。

理由

一本件申立ての趣旨は、相手方が昭和五五年三月一九日付で申立人に対して発付した退去強制令書に基づく執行は送還部分に限り本案判決が確定するまでこれを停止する旨の裁判を求めるというにある。

二よつて検討するに、一件記録によれば、本件退去強制令書に基づき申立人の国外への送還が執行されると、申立人は事実上訴訟を維持することが著しく困難になるものと一応認めることができるし(後記のような本案訴訟における争点からすると、申立人は最も重要な証拠方法であるとともに、国内において申立人に代わり得る者を見い出すことも困難であると認められるから、訴訟運営自体にとつても重要な地位にあるものと認められる。)、また、たとえ右訴訟で勝訴の確定判決を得ても、再入国その他送還執行前に申立人が置かれていた原状を回復しうる制度的保証が確立しているとはいえない現状においては、申立人は、本件退去強制令書による送還の執行により回復できない損害を被ることは明らかであり、右損害を避ける緊急の必要性があるというべきである。

三相手方は、本件申立は「本案につき理由がないとみえるとき」に当たる旨主張するので以下この点につき判断する。

1  相手方は、申立人が出入国管理令(以下「令」という。)第二四条各号の一に該当するか否かについての入国審査官の認定、特別審査官の判定及び法務大臣の裁決は申立人が右各号の一に該当するか否かのみを判断するもので右判断には裁量の余地は全くなく、しかも、主任審査官は右認定、判定又は裁決が確定したときには必ず退去強制令書を発付しなければならないものと定められている(令第四七条第四項、第四八条第八項、第四九条第五項)ところ、本件においては申立人が在留期間を経過して不法に本邦に在留している事実は当事者間に争いがなく、右事実が令第二四条第四号ロに該当することは明らかであるから、本件裁決に誤りはなく、従つて、これに基づいてなされた本件退去強制令書発付処分にも何らの違法はないと主張する。

なるほど、相手方が主張するように前記の入国審査官の認定、特別審査官の判定及び法務大臣の裁決は容疑者が令第二四条各号の一に該当するか否かの判断ないしはその判断の適否を審査するものであり、従つて、その限りにおいては事案の軽重その他容疑者の個人的事情による裁量の余地はないものであるが、法務大臣は右裁決に当たり、異議の申出が理由がないと認める場合、すなわち、容疑者が令第二四条各号の一に該当する旨の判定に誤りがないとする場合にもなお在留を特別に許可することができる(令第五〇条第一項)ものとされているのであるから、法務大臣がした異議の申出を理由がないとする裁決は右在留特別許可を付与しないとする判断を含むものと解される。そして、右許可があつた場合には主任審査官は直ちに当該容疑者を放免しなければならず(令第五〇条第三項、第四九条第四項)、退去強制令書の発付は許されないものと解されるのであるから法務大臣のした裁決のうち在留特別許可を付与しない旨の処分が違法であれば、右裁決に基づく退去強制令書発付処分も違法になると解される。そうすると、本件においては法務大臣のした在留特別許可を付与しない旨の処分の適否が争われていることは記録上明らかであるから、申立人が令第二四条第四号ロに該当することが明らかであるからといつて直ちに本案につき理由がないとみえるときに当たるということはできず、この点に関する相手方の主張は失当である。

2  次に相手方は、法務大臣のした在留特別許可を付与しない旨の裁量判断には何らの誤りはない旨主張するのでこの点につき検討するに、疎明によれば一応次の事実を認めることができる。

申立人は、昭和三〇年九月一四日ラオスにおいて出生し、同国内の華僑系中学校を卒業したのち日用雑貨品の小売業手伝いなどをするうちに日本に対し興味をいだくようになり、昭和四七年九月二七日ラオス王国政府から旅券の発給を受け、まず昭和四九年九月初め右旅券に観光査証を得て本邦に上陸し約五箇月を過ごした。次いで昭和五〇年六月二七日前同様の方法により本邦に上陸したが、六〇日の在留期間が満了する当時ラオスで政変が進行していたため同年八月二六日台湾へ出国したところ、台湾滞在中にラオス王国が崩壊しこれに伴い前記旅券が失効した。このため申立人は林静名義を使用して台湾外交部に旅券の発給を申請し、昭和五一年七月一三日これの発給を受け、さらに同月二二日在ホンコン日本国総領事から日本への渡航証明書の交付を得て、同月二八日在留期間を六〇日とする上陸許可を受け本邦へ三度目の上陸をした。そして、以後在留期間経過後も更新を受けないまま飲食店等で稼働しながら生活していたところ、昭和五五年一月三〇日川口警察署警察官に逮捕されたものである。

ところで、申立人は、インドシナ難民であるから法務大臣は右事実を尊重して裁量権の行使を行なうべきであると主張するのに対し、相手方は、申立人が有する前記の中華民国旅券はいわゆる自国民旅券であり、中華民国は右旅券に基づき申立人の入国を認めているのであるから申立人はインドシナ難民には該当しないと主張しているところ、申立人は前記のようにラオス王国からも自国民旅券の発給を受けているし、申立人の父母の国籍及び申立人が中華民国旅券の発給を受けた手続等も明らかではないため、右両国の国籍関係法規によつてもなお申立人の国籍については不明の点があり、従つて、審理の結果いかんによつては終局的に中華民国の保護を受けうるか否かについては疑問がなくはないし、また、疎明によれば、申立人の父母及び弟妹はタイのウボンにある難民収容所に収容されているものと一応認められるところ、申立人が政府のインドシナ難民救済対象者に直接該当しないにしても、ラオス王国発給の旅券に観光査証を得て本邦へ上陸し、その後不法在留になつた華僑系ラオス人四人に対し、旧ラオス政府発給の旅券が失効したこと、旧ラオス政府と政治体制を異にする現ラオス政府の統治下にある同国へ送還することには人道上問題があること、他の国へ送還できないこと等を主な理由として在留特別許可が付与されている事実等が疎明により認められることを勘案すると現段階で直ちに法務大臣のした裁量判断に誤りがないとして、本案につき理由がないとみえるときに当たるということはできず、結局この点は今後の審理に待つほかない。

そして、他に本案につき理由がないと認めるに足りる疎明もなく、また、本件退去強制令書に基づく送還部分の執行を停止することが公共の福祉に重大な影響を及ぼすおそれがある旨の主張立証もない。

四そうすると本件執行停止の申立ては理由があるというべきであるが、既に述べたように本件では申立人が外国人でしかもその親族が国外の難民収容施設にいるなどの理由で現段階においては重要な争点に関する疎明資料が極めて乏しい状況にあること、申立人がいわゆるインドシナ難民に該当するか否かは別として、わが国のインドシナ難民あるいはこれに準ずる外国人に対する施策について未だ流動的な要素があること等を考慮し、とりあえず第一審判決言渡しの日から一箇月を経過した日まで送還部分の執行を停止することとし、右時点以降の執行停止を求める部分については、改めて右時点において判断するのを相当と考えるからこれを却下することとし、申立費用の負担について行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第二〇七条、第九二条、第八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(藤田耕三 原健三郎 田中信義)

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